文化とアートのある暮らし

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第3回
音と天体の狭間で

2012年に金環日蝕が起きたことを覚えていますか。
2009年に、日本国内の本土からは遠い奄美大島で皆既日食が観測されましたが、2012年には首都東京や国内のほとんどのところで金環日蝕を観測出来た幸運な年でした。

その年、5月21日に起きる金環日蝕のプレ・イベントとして千葉市科学館で「金環日蝕と出会うとき~トークとピアノ即興演奏~」という企画に出演しました。
科学館での音楽会、それはプラネタリウムのドームにて、宇宙と音を取り上げたものでした。プラネタリウムは、星空を人工的にドーム型のスクリーンに投影し擬似的に星空を体験するもので、日本の四季折々の星の変化や、世界の天体を見ることができます。
本来は星を楽しむためのドーム空間ですが、このイベントでは星だけではなく音符を投影し、小さな「まる」の形をした音符をドームで星のように映しだしたのです。

科学館館長の大高一雄先生とのサイエンストークのなかで、「演奏によって感じる天体」と「楽譜でみる天体」という2つのテーマで作曲作品の紹介やピアノ演奏を交えながら、宇宙と音についての関心を深める会になりました。

演奏によって感じる天体の例では、とても著名な作品「月の光」を演奏。「月の光」はフランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862-1918)によるもので、「ベルガマスク組曲」の中の3曲目にあたり、ここでの~ベルガマスク~は、ドビュッシーが好んでモチーフにしていたフランスの詩人ヴェルレーヌの詩集「艶なる宴」の一扁「月の光」にみられるベルガマスクから用いられたのではという一説があります。「月の光」という曲名も、詩人ヴェルレーヌの影響が強いのではないでしょうか。
また、まるで月光をみているかのようにはかなく美しいと感激を受けた第三者が呼んだ「月光」は、現在でこそ通じる「月光」という名前ですが、実際はベートーヴェンが名付けたものではなく、ソナタ形式と呼ばれる形式で書かれた第14番目(作品27-2)の作品です。しかしこの曲も演奏によって感じ取れる月光のイメージがあります。
現在に近い時代に入ると、天体への憧れを新たな視点によって作曲した作品が出てきます。アメリカの作曲家ジョン・ケージ(1912-1992)は、禅や易・書など、東洋的な文化への憧れが強く、西洋クラシック音楽が現代に近づくにつれ合理的になっていくのに対し、「決めすぎないこと」や「余白を生かす」意志を主張し、クラシック音楽から派生する現代音楽の文脈のなかで偶然によってできる音楽を創りだします。例えば「エチュード・オーストラル」という作品は、作曲家の手によって展開される感性を極限にまで抑え、「南半球の星空」をそのまま描写し、ありあまる星空からは易によって選択、選択された音を星のように楽譜上に散りばめました。
弾き手にとっては、メロディがなく行き先が読めないような、異世界の星と星をつないでいくかのような客観的な作業と超絶技巧(音が離れているため物理的な意味で跳躍が凄い)と向き合う作品になっています。

「エチュード・オーストラル」楽譜をプラネタリウムドームで投影
「エチュード・オーストラル」
楽譜をプラネタリウムドームで投影
南半球の星空と「エチュード・オーストラル」の楽譜を重ね合わせて投影
南半球の星空と「エチュード・オーストラル」の楽譜を
重ね合わせて投影

また、一音一音を鳴らし、隣り合う音が混ざり瞑想的な空気が漂う作品「ある風景の中で」などの作品もありますが、人間の想像力や瞑想する心は宇宙に通じるという、思想的な意味においてもケージは宇宙と自然を追求しています。



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