写真家・秋野深のやさしい旅のフォトレッスン

バックナンバー

第42回
水田に眠る日本人商人 ~ベトナム・ホイアン~

ベトナム中部にある、ホイアンという小さな港町をご存知でしょうか。17世紀頃には東南アジアの中継貿易拠点として栄え、その面影を残す古い街並みは世界遺産にも登録されています。最盛期には日本との交易も盛んで、シャム(現在のタイ)のアユタヤと並んでホイアンには多くの日本人が居留していたといわれています。 ところが、徳川幕府の鎖国令の後、日本人は徐々に街から姿を消すことになります。そして、その後のホイアンは華僑の影響を色濃く反映した街へとその姿を変えていきます。

【写真1】
【写真1】

しかし、日本人商人が生きた確かな痕跡に、私は思いもかけず、郊外の美しい水田の中で出会うことができました。それは、ホイアンの中心部から自転車で10分とかからない場所にある、かつてこの地で暮らした谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)という日本人の墓でした。大勢の外国人観光客で賑わう街中とは別世界の、静かでのどかな空気が、墓を取り囲む広々とした田園風景の中を流れていました。

【写真2】
【写真2】

350年以上も前に、ここで暮らし亡くなった日本人。私自身とは日本人であること以外に何の関係もないというのに、こんな時、不思議な親近感が沸き起こってくるものです。
彼はここでどんな暮らしをしていたのでしょう。初めてこの地を訪れたとき、どんなカルチャーショックを受けたのでしょう。言葉はどうやって身につけたのでしょう。当時、多くの日本人商人が居住していたにしても、現代からは想像もできない体験を彼は数多くしたに違いないと思うのです。

墓標には、ベトナム戦争時に受けた銃弾の痕が3箇所残っていました。彼の死後、350年以上がたっていることを考えると、ベトナム戦争は彼にとってごく最近の出来事なのかもしれません。
墓はホイアンの港町の隆盛を見守り、また墓の周囲に広がる水田で汗を流して働く人々の生活をずっと見守り続けてきたのでしょう。彼の墓のたたずまいからは、350年という年月の長さや歴史の重みをそんなふうに実感せずにはいられません。
そして、彼の墓もまた、ホイアンの人々に大切にされ、温かく見守られてきたことがよくわかります。墓の周囲の水田で働く人々の柔らかい表情がそれを物語っていました。皆、農作業の手を時折休めて、泥だらけの手を額の上にかざして乾季の厳しい日差しを遮りながら、私のほうへ笑顔を向け、視線が合うと墓を指差して嬉しそうにうなずいてくれるのです。

墓の敷地の傍には、英語、フランス語、ベトナム語、そして日本語で記された4つの石版があります。そして日本語の石版には、こんな文章が刻まれています。

『1647年、日本の貿易商人 谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)ここに眠る。
言い伝えによれば、彼は江戸幕府の外国貿易禁止令に従って日本に帰国する事になったが、彼はホイアンの恋人に会いたくてホイアンに戻ろうとして倒れた。
この彼の墓は母国の方向、北東10度を向いている。
この遺跡は17世紀にホイアンが商業港として繁栄していた当時、日本の貿易商人と当地の市民との関係が大変友好的であった事の証である。』

■ワンポイントフォトレッスン

広角レンズを効果的に使うポイントについては、随分前の連載になりますがレッスン6でもお伝えしたことがあります。その時は、広い範囲が写る広角レンズでは、遠近感が強調されることについて触れました。
今回は、広角レンズの「歪(ひず)み」についてのレッスンです。「歪み」というと写真にはマイナスのイメージにも受け取られかねませんが、まず【写真2】をご覧下さい。

【写真2】
【写真2】
写真上の方の地平線のラインが少し丸みを帯びているのがおわかりいただけると思います。これが広角レンズの「歪み」です。
実際に肉眼で地平線がここまで丸く見えているわけではありませんが、広角レンズで捉えると両端が少し歪んだ感じで、地球の丸い感じや背景の広がりが強調されることになります。
地平線を直線的に写したい場合は、ズームをあまり広角にしないようにしたり、広角でも地平線を画面の中央あたりを横切るような構図にしたりすることで、「歪み」を避けることができます。
しかしこの1枚では、お墓が広大な田園地帯の中にあることを強調するために、広角レンズの「歪み」の効果をそのまま使いました。

コメント