江戸の名残を歩く

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第6回
紀州徳川家ゆかりの赤坂界隈を訪ねる・その2


赤坂御用地

前回は紀州藩の麹町上屋敷界隈を歩きました。今回は中屋敷でありながら上屋敷としての機能を果していた赤坂中屋敷に向かいましょう。

弁慶橋を渡ると赤坂の街に入り、首都高速をくぐると間もなく国道246号線が現れます。青山通りです。

青山通りを渋谷に向かって5分ほど歩くと、赤坂豊川稲荷が見えてきます。紀州家の赤坂中屋敷はもう少し先にあります。豊川稲荷の社地を右手に見ながら歩いていくと、公園のような緑の空間が目の前に現れるでしょう。これは、赤坂御用地で、この御用地こそ赤坂中屋敷が置かれていた場所でした。

屋敷内には「西園」(さいえん)と称された巨大な庭園がありました。尾張藩の戸山荘、水戸藩の後楽園と並び称されるほどの庭園だったそうです。戸山荘と同じく、その評判を聞きつけた将軍が訪れたことで、その名前はさらに高まります。

明治に入ると、皇室の御用地となります。皇居が焼失し、再建されるまでの間、明治天皇が皇居としていた時期もありました。現在では東宮御所などが置かれています。

赤坂不動尊入口

赤坂御用地の門前から青山通りを赤坂見附方面に戻ると、右手に一つ木通りへの入り口が現れます。この通りを進んでいくと、右手に赤坂のお不動様への参道が現れます。赤坂不動尊です。

鎌倉時代以前に創建された寺院で、関が原の戦いが起きた慶長5年(1600年)に現在地に移転してきたのです。やがて、赤坂に屋敷を持つことになった紀州藩の祈願寺に指定されました。


赤坂不動尊前にある祈願所由来を示す碑

参道入り口には、紀州藩の祈願所であることを示す石碑があります。現在も、紀州藩から奉納された厨子や仏具が安置されています。

この後訪ねる赤坂氷川神社もそうですが、赤坂を歩いてみると、紀州徳川家ゆかりの史跡に数多く出会います。

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