大震災特別寄稿

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第6回
フロムナウ取材陣が感じた震災41日後の“福島”〜その2〜

海岸に近づくほどに瓦礫が増える……

徐々に取材陣の車は、津波の被害が大きかった海岸沿いへ近づいていく。道路の両脇には、おそらく元は田畑だっただろう風景が続いている。当然ながら、現在は米も野菜も作ってはいない。そればかりか、海に近づくほどゴミとも瓦礫とも判別できないものが数を増すばかり。「これも津波の影響なのかな……」と悠長に構えていると、目の前の景色が一変した。

南東北地方において物資輸送の拠点となり、大型のコンテナ船の航路もある相馬港。その港の周辺へと入ったとたん、散乱した瓦礫、横転した車両、壊れた倉庫などの光景が飛び込んできたのである。

海岸線によって車を進めると、そこには住宅街の跡が……。それはもう、跡としか言いようがない状態。何しろ、家が根こそぎ基礎だけを残して跡形もなくなっている。映像では見ていた光景だが、その中に実際に立ってみると、言葉を発することもできない、ただボー然と立ち尽くしてしまうだけだ。

さらに海岸線沿いの道を南へと下り、相馬市原釜へ。こちらは同行していただいた佐藤氏の親戚の多くが、お住まいの地域でもある。佐藤氏のご実家は、海産物の加工場を営んでいたそうだが、津波によって大きな被害を受けた。「昨年、1億円ほどかけて工場の施設を新しくしたばかりでした。しかし、津波による被害でもう使い物にはなりません。本来であれば、3月から5月上旬というと、特産であるコウナゴの加工をしている時期です。でも、今は家族全員で県外へ避難しています。今後、工場を再開できるかも分からない状況です。被害に遭われた漁師の多くは廃業を考えていると聞いています。さらに、卸し業者もいなくなってしまえば、商売はなりたちません……」と尽きない不安を漏らす。


佐藤修一プロ

福島県によると、相馬市では453人、これから向かう南相馬市では605人の方が亡くなり、68人以上の方がまだ行方不明という(7月27日現在)。カメラを向けることを躊躇するほどの光景だったが、まず全員で手を合わせてから、津波被害の写真を撮影することになった。この記事では、数多くの写真を掲載するが、その旨ご了解いただきたい。

相馬市内の津波被害を見て、大きな衝撃を受けた取材陣。続いて隣の南相馬市へ向け、海岸沿いをさらに南下した。その道すがら、津波の爪痕はどこまでも広がっている。陸に打ち上げられた漁船、反対に海の中に沈んでいるマイクロバスや住宅。高圧電線の鉄塔は上から半分がグシャリと曲がり、電線が周辺木々に覆い被さっているのだ。自然災害をテーマにしたハリウッドの映画、もしくは怪獣映画の中に迷い込んでしまったような……。現実とは思えない妙な感覚は、この後も延々と続くことになる。

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