大震災特別寄稿

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第3回
江戸時代にみる震災と復興

復興経験の積み重ね

安政の大地震を通じて注目されるのは、町奉行所の対応が非常に迅速であること、そして罹災者を援助する社会慣習の存在だ。その背景には、いったい何があるのだろうか。

「火事と喧嘩は江戸の華」と称されたように、江戸は火事が多かったという事実が何よりも大きかったのではないか。実は江戸では火事が起きるたびに、行政レベルでの救済措置と民間レベルの助け合いが繰り返されていたのである。炊き出しをはじめとする施行は珍しい光景ではなかったのだ。

江戸っ子は長屋住まいに象徴されるように、狭い住居空間のなか共同生活を送るのを余儀なくされていた。生活環境は必ずしも良好ではなかったが、その分、助け合いの精神が醸成されていた。その精神が罹災時に浮き彫りになるわけである。

言い換えると、社会全体で危機管理のマニュアルを作り上げてきたのだ。そのマニュアルがあったからこそ、奉行所は地震直後に今後の方針を決め、翌朝より進行させることができた。お互い助け合いながら、日常生活に戻ることができたのだろう。

しかし、そうは言っても、突然の地震が江戸の人々に大きな衝撃を与えたことは間違いない。火災などの罹災の経験を積んでいたとはいえ、これほどの大震災に見舞われたことははじめての経験だった。

仮名垣魯文という作家がいる。後に、この地震のルポである『安政見聞誌』を執筆刊行し、そこで次のように語っている。地震が起きる前は、過去の震災の話を聞いても昔のこと、遠くのことでしかなかった。

夏目漱石の弟子である寺田寅彦の言葉と言われるが、まさに「天災は忘れた頃にやって来る」。言い換えると、それだけ地震による衝撃の大きさを、江戸の人々は身を持って思い知らされたということなのだ。

東日本大震災後、連日報道され、目の前で起きている社会の混乱は、この魯文の言葉が現代の私たちにもあてはまるものであることを教えてくれる。だからこそ、「備えあれば憂えなし」という諺も重い意味を持ってくる。その場合、過去の教訓から、どういう備えが必要かを知るのが緊喫の課題だろう。

安政の大地震をはじめ、過去の災害から現代の私たちが学び歴史的教訓にすべきことは、たくさんあるのではないだろうか。

※野口武彦『安政江戸地震』ちくま新書など参照

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