大震災特別寄稿

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第5回
フロムナウ取材陣が感じた震災41日後の“福島”〜その1〜

プロローグ~福島取材について

死者と行方不明を合わせると2万人以上。甚大な被害をもたらした東日本大震災から、早くも4カ月余りが経過した。この間、被災地では救難、援助、支援、復興という号令の元、多くの人が活動を続けてきた。もちろん、現地に行けない多くの方々も、自分ができることは何かを考え、行動してきたことだろう。

今年2月に産声を上げたばかりのフロムナウとしても、震災以後、「メディアとして何をするべきか。また、何ができるのか?」という自問自答を繰り返してきた。ようやく導き出せた答えの一つが「現場へ行くこと。そして自分の目と耳で、見て聞いたことをそのまま伝えていこう」という基本的な報道スタイルである。

そこで我々は、コラム執筆陣を含めたプロジェクトチームを結成。東日本大震災の発生から41日たった4月23日の朝、被災地の一つである福島県へと向かった。目的は、震災後の原子力発電所の事故による風評被害を取材すること。地震と津波の実被害では、宮城県や岩手県の方が深刻となっているが、福島県では原発事故によって復興への道筋すら描くことができないという、2県とは少し異なる状況にあるのだ。また福島県の海岸沿い、福島浜通り方面へも周り、地震、津波、そして原発という3重苦に直面した現場を、国内だけではなく世界の方にも届けたいと考えた。1泊2日。駆け足の取材となったが、取材陣が見聞きしたこと、考えさせられたことを、ありのまま書き残したいと思う。

本来は、福島第一原発の状況が落ち着いてから掲載しようと考えていたが、我々が取材で訪れた福島市、相馬市、南相馬市、飯舘村からは良い話が一向に聞こえてこない。そればかりか、再び、風評被害が拡大するような懸念も出てきている。我々は、この記事を通して福島で生きている方々の思いを伝えることしかできないが、少しでも心を一つにするきっかけになれれば幸いだ。人の記憶というものは、月日と共に薄れていく。しかし、忘れてはいけない記憶というものがある。どうか、我々取材陣が感じたことを、読者の心の中に刻み込んでもらいたい。

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