文化とアートのある暮らし

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第8回
使い古された鉛筆で

先日「寒ちゃん、これあげる。アートだよ。」と冗談半分にもらい物をしました。
最初は「いえ、いらないです」と笑いながら言っていたのです。

小瓶に入った鉛筆なのですが、使いきりすぎてとうとう鉛筆としての用を終え、本当にちいさなものになっていました。よくここまで使い込まれたものです!

もちろん、これはアートとして創られたものではなく、別の意図があって使い込まれました。


それでは一体どこまでアートでなくてどこからアートなのか、といった話になるのですが、現代美術の領域では、インスタレーションといった形態があり、ここでは作家が表現のために土台から制作したものではなく、既成のものをそのまま作品に取り入れたり、あるいは少し手直しして変化をもたらせることがたくさんあります。ここでは対象になっているものの「切り取り方」に作家による個性が出されます。

塩田千春さんという現代作家は、今春から始まるヴェネチア・ビエンナーレでの展示にむけて、いらなくなった鍵を広く集めていました。たくさん集められた鍵と相まって塩田氏の個性が際立った作品は生まれるようですが、不特定の人の過去を背負うかのように大きな意味を持つ予感がしますし、その鍵の作品がいよいよ5月9日(~11/22)からヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館(キュレーター:中野仁詞(神奈川芸術文化財団))で展示されることを想像すると今から鳥肌がたちます。

また、青田真也さんという現代作家は、日常にあるさまざまな物の表面をヤスリで削り落とすことで、その物が持つ情報を極限まで剥ぎ取る作品を制作している方で、例えば既成の販売物(洗剤ボトルなど日用品)にあるロゴを紙ヤスリで磨き、既製品の名称や目的が匿名性をもつかのように変化させた作品もたくさん。

塩田氏と青田氏、それぞれに作風は全く異なりますが、鍵にしても商品にしても、目的があって日常的に使い込まれたものが作家によって作品になる瞬間、そこには作家の何かしらの思いと不特定の人の過去が見え隠れし、神秘が宿る気がします。

鉛筆がここまでの使い込まれたものになるまでについやされた仕事量、疲労を考えると凄いなと思うようになり、その存在感に改めて立ち止まりました。もちろんこれは作品ではないのですが、そんな感想を抱いたので、最初は戸惑いながらも自宅に持ち帰ったのです。




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