文化とアートのある暮らし

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第11回
「音の自然体と神秘」

「○○さん、今日、~だったよね」
と話しかけられたとして、おそらくすぐに意味を感じ取ることができるでしょう。言葉を伴った音は、その言葉が母国語であれば当然理解できます。
ところがショックなことが身に起きた時、誰かに話しかけられても音に気づけなかったり、音は聞こえるけれど意味が聞き取れなかったりした経験はないですか?
その時に生じているのは、言葉と音が分離した状態で、その人が発した声は純粋に音となっています。脳が言葉の意味を受け付けなくなっているのでしょうか。ノイズの一部として声が流れているイメージです。

言葉はないけれど音が何かの合図になっている例は多く、踏切や緊急地震速報、電車の出発案内音、救急車、消防車などは、何か穏やかではない、必ず耳に残るような音で警告のサインを発しています。誰にでもわかりやすく気づいてもらうために、あえて穏やかではない音が選択されています。
ところで上に書きました電車の出発案内音はウィキペディアによると、現在最も多くのメロディを使用する東日本旅客鉄道(JR東日本)では旧・日本国有鉄道(国鉄)時代の1970年代後半から電子音化したベル(「ピロピロピロ」という音)を使用していましたが、多数の駅利用客から耳障りであるなどと不評であったそうで、そのため1988年の千葉駅での発車ベル廃止を経て女性社員らが主導となりプロジェクトを立ち上げ音響機器・楽器メーカーとして知られるヤマハに新しい発車メロディ放送システムの開発を依頼し、1989年3月11日に新宿駅と渋谷駅に導入したようです。この際にピアノや鈴、ハープといった音色と人の心を落ち着かせる雰囲気のメロディを採用し、現在、両駅は別のメロディを使用しているといった記述があり、利用客の声によって様々な駅が少しずつ穏やかな音に変わっているようです。

では、他に穏やかなサインってなんでしょうか。区役所の入り口で鳴る音(ソ~ミ~♪)は、なんとなく穏やかですね。信号の青も穏やかな部類でしょうか。しかし、意図的につくられた穏やかなサインは、警告のための音よりもみつけにくいです。サインを発する必要性が少ない事を意味しているかもしれませんね。 穏やかな音というと、意図して作られた物よりも、窓を開けたり部屋を歩くときなどに聞こえる生活音に多く含まれるでしょう。
私の家の近所には、学校があり、夏には窓を開けていると体育の運動をする声や吹奏楽の練習の音が聞こえてきます。私はこういった周囲の音には心地よさを感じるのですが、一方で、音は聞こえの程度によってご近所トラブルの原因を含んでおります。 いろんな環境がある中でみんなが暮らしやすく共生できるといいなと思います。




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