文化とアートのある暮らし

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第22回
楽器を手作りしてみえること

ところで、ここで東南アジアを例に出したいのですが、東南アジアに伝わるものの一つに竹があり、稲の発育を護ることから死者を祭る儀式にいたるまで、生活上に様々に使われる多様で重要な音源としてフルートやツィター、叩き筒、木琴、パンパイプ、うなり竹、口琴、リード楽器、擦り楽器などが竹から作られ、他の食物や自然物ではココナッツや貝のがらがら、叩き角材、豆莢の(さや)の楽器、水牛の角笛、ココナッツの葉のクラリネット、藁のリード、鷹の爪のがらがら、青銅のゴングやシンバルなどと、さまざまな種類の楽器が生まれました。
これらの自然素材はかつてどこにでもあり、わりと簡単に作る事ができたので宮中の行事のような特別な機会でなくてもよく日常で演奏されたようです。
もちろんこの例と現代の日本とを比べても周りに落ちているものやヒントにできる素材は違いますが、創作楽器を課題にすることで子供の頃にあった遊び心を思い出すと共に、完成した楽器が楽器店で販売を目的に商品化するといった現代の発展を遂げる前の時代を想像できるかのようです。
アジアに古くからあった楽器は、やがてヨーロッパ思想の導入とともにヨーロッパのオーケストラに本来あった楽器の型にしたがって、管楽器、弦楽器、打楽器と分類され、打楽器はさらに太鼓あるいは膜鳴楽器というように分類されていくのですが、この分類法はアジアにおける楽器の用法には実は何の意味をも持たないようで、つくりを洗練し、完全なものに仕上げることへの興味もあまりみられないのです。
また、中でも東南アジアの音楽の特徴にあるのが、音楽思想の根源が自然それ自体の豊かさとその密度にあり、曖昧なピッチで非精密性に向かう傾向があること、そして音階を形成する音程も聴覚的に融通性に富む傾向にあるのだそうです。
湿地帯や乾燥地帯などとその国、その大陸の風土が違えば奏でられる音も違い楽器の保管方法も真逆でありますし、空気に触れて呼吸している楽器の様子はまるで生き物のようで面白いものです。そこにきて楽器に対して抱く思想や奏でられる音の構成、時間的な概念も違うというのは非常に面白いですね。

ふと思うのが、廃材によって手作りで創作した楽器はやはり技術や完成度に限界があるので単純なものが多くなり、ピッチも曖昧で完全ではないものになります。このため、手作り楽器とアジアに伝わっていた自然素材の文化がとても近いように思えるのです。
古くから伝わるアジア文化と、時にその場の気分でできてしまう手作り楽器ではもちろん時代もコンセプトも価値の重みも異なりますが、音が鳴るものを手で作ってみることによって、既存の文化に思いをめぐらせ原始的な部分にリアリティを感じることができることでしょう。

この演習の中で昨年から創作楽器を始めたのには、植物の生体から音を取り込むことで作曲された「植物文様」シリーズで知られる作曲家の藤枝守さんとのご縁がきっかけで、藤枝守さんが教授をされる九州大学にイベントを通じて訪問したことがあり、そこで出会った藤枝研究室の学生やOBによる「サウンドリノベーションバンド」というグループの刺激に満ちた活動に影響を受けたことにあります。

使わなくなったやかんやホース、金属製品などで、既存の楽器を真似たものや他にない類のものまで、見た目に味わいがあるだけでなく良い響きが出るように工夫されています。
創作楽器もここまで研究して工夫できれば素晴らしいと思える作品が数々生まれており、本コラムでも少しご紹介できればと思います。


自ら作った楽器で豊かな響きの音を引き出す「サウンドリノベーションバンド」のように私の実験も目指したいところです。

藤枝研究室オフィシャルウェブサイト: http://www.design.kyushu-u.ac.jp/~mflab/
参考文献「ドローンとメロディ」東南アジアの音楽思想 ホセ・マセダ著 高橋悠治編・訳

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