文化とアートのある暮らし

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第4回
「秋の夜に」のこと

『星の王子さま』の、純粋な心を持った王子さまは、「僕」の前に訪れ、信頼しあえる友人がおらず、サハラ砂漠から生還しても悲しみにくれている「僕」を簡単に理解してくれる存在。理解してくれる人たちが周りにいない、そして誰かに伝わることを願わずにはいられない孤独感を「僕」は抱いています。また、作中の「ひとりで行かせて」という王子さまの言葉は何を語っているのでしょうか。僕と王子さまは同じ人物のようにも思えますし、走馬燈のような、最期を意識した故の幻想をみているかのような。
偵察飛行に出てそのまま帰らぬ人となったサン=テグジュペリの作品は、『夜間飛行』『人間の土地』も飛行体験によるもので、飛行中の心理を感じることができます。水を飲むことの幸福。喉が渇く、体が水を欲しがっている。人間本来の欲望、生きる困難と向き合うことを正面から知らせてくれる、そんなメッセージの強いものでしょう。第二次世界大戦中の生きることが困難だった時代です。飛行することで空からみえる高い景色の感動と喜びが、常に生きる不安と一体になっていたことを想像すると、とても複雑な思いがしてきます。
サン=テグジュペリ、今はどのあたりの空から地球を眺めているのでしょうか。現在の世界の状態をみて、作者は平穏を感じることができるのでしょうか。
秋の夜に大事なものを見つめ直し、静かに心が研ぎ澄まされた時間だったことを、一年を過ぎたこの12月に改めて感じるようになりました。


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ  1900-1944 / 作家・飛行家
1900年に貴族の家系として、フランスのリヨンに生まれる。12歳の時、初めて飛行機に乗せてもらい、空への憧れを強くする。兵役で航空隊に志願。除隊後はタイル製造企業や自動車企業などを転々とし、26歳の時、民間の航空会社に念願のパイロットとして採用される。
28歳の時、自らの飛行体験をもとにした、処女作『南方郵便機』を発表。以後『夜間飛行』『人間の土地』『星の王子さま』などを執筆し、ベストセラーとなる。
第二次世界大戦時、偵察機の添乗員として困難な出撃を重ね、1944年にコルシカ島の基地から出撃したまま、地中海上空で消息を絶つ。
近年になって、マルセイユ沖で、サン=テグジュペリと妻の名前が刻まれたブレスレットや、彼が操縦していたとされる偵察機の残骸が発見される。2008年にはドイツ空軍に所属していた元パイロットが、サン=テグジュペリの偵察機を撃墜したとする証言が公開された。

『夜間飛行』  1931年刊行
南米大陸で「夜間郵便飛行」という新事業に、命を賭けて挑んだ男達がいた。ある夜、パタゴニア便を激しい嵐が襲う。生死の狭間で懸命に飛び続けるパイロット・ファビアンと、地上で司令に当たる冷徹にして不屈の社長・リヴィエール。任務を遂行しょうとする者の孤高の姿と美しい風景を、詩情豊かに描く小説

『人間の土地』  1939年刊行
リビア砂漠で遭難し、乾きと疲労に苦しみながら、奇跡的な生還を遂げたサン=テグジュペリ。彼の勇気の源泉とは…。15 年にわたる飛行家としての劇的な体験を基に、極限状態での僚友との友情や、人間の本来の姿を模索し、現代人に問いかける渾身のエッセイ集。

『星の王子さま』  1943年刊行
砂漠の真っ只中に不時着したパイロットの前に、不思議な王子が現れ「ヒツジの絵を描いて」とねだる。王子の話から彼の存在の神秘が次第に明らかになる。バラの花とのいさかいから住んでいた小惑星を去り、いくつもの星を巡った後、地球に降り立った王子は…。子どもから大人まで、今も世界中で愛され続ける不朽の名作。
~「秋の夜に」テキストより引用~

田口一枝さん作のバラを持って左から寒川、酒井景都さん、村井美樹さん
田口一枝さん作のバラを持って
左から寒川、酒井景都さん、村井美樹さん

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