江戸の名残を歩く

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第13回
両国の大名庭園を歩く

両国発着場の事務所

今回は向島を離れて、同じ墨田区でも両国を歩きます。両国というと、江戸東京博物館に代表されるように、江戸の賑わいが感じられる施設が各所にあります。両国花火資料館などもその一つです。本所松坂町公園という形で赤穂浪士が討ち入った現場も保存されています。

両国国技館の横

ですが、両国の街に大名庭園が残っていることはあまり知られていないようです。今回は、両国に大名庭園の名残を訪ねます。

両国駅を出て、両国国技館・江戸東京博物館を右手に見ながら、国技館通りを北に歩いていきましょう。

両国発着場

左手には首都高速道路そして隅田川が走っており、東京水辺ラインの建物も見えます。隅田川縁に建てられていますので、そのまま観光船に乗ることもできます。通りからは見えませんが、両国発着場があるのです。

旧安田庭園入口

再び国技館通りに戻ります。間もなく旧安田庭園が現れます。現在は墨田区が管理しており、その広さは14250平方メートルもあります。

旧安田庭園は5代将軍徳川綱吉とのゆかりがあります。徳川綱吉の母は桂昌院で、その実家は本庄家といいます。桂昌院が将軍生母となったことで本庄家も優遇され、ついには弟の本庄宗資は大名にまで取り立てられました。本庄家は後に松平の称号も許され、徳川一門に列せられ、丹後国宮津藩主として明治維新を迎えたのです。
本庄家は大名に取り立てられた際、この地に屋敷を与えられます。元禄のころですから、今から300年ほど前です。大名屋敷内には庭園を造るのが普通でしたから、本庄家も巨大な庭園を造成しました。庭園となれば樹木のほか池も欠かせませんが、幸運なことに、隅田川がすぐ近くにあったのです。

水門跡

そこで、庭園内に造った池に隅田川の水を引き込みました。隅田川は江戸湾に流れ込んでいきますので、潮の干満により水位が上下します。ですから、庭園内の池の水位も時間より変わるわけです。こうした庭園は潮入庭園と呼ばれています。

園内を歩くと、その取水口も残されていますが、今は隅田川の汚濁の影響を受けて、残念ながら取水口は閉じられています。

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