江戸の名残を歩く

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第15回
錦糸町を歩く・その2

北斎通り

錦糸公園から北斎通りに出ます。両国方面に向って5分ほど歩いて行くと、あたかもビルの谷間に隠れるような格好で、鳥居が現れます。津軽稲荷神社の鳥居です。
江戸では全国の大名が屋敷地を持っていました。参勤交代制度により、一年間江戸で大勢の家臣と生活することが義務付けられていたため、幕府から土地を下賜されたのです。拝領した土地に、殿様と家族が住む御殿と、家臣たちが住む長屋が建てられていました。これを大名屋敷といいます。
大名屋敷には、上屋敷、中屋敷、下屋敷の3種類あり、殿様が普段生活を送っていたのは、上屋敷です。中屋敷は殿様が隠居して住む屋敷で、下屋敷は殿様の別荘、あるいは物置き場として使われていました。

津軽稲荷の鳥居

この津軽稲荷は、弘前藩主津軽家の下屋敷だった場所に鎮座していた稲荷です。江戸はお稲荷さんの多い町でしたから、屋敷神として祀られることは珍しくはありませんでした。
明治維新後、この屋敷地は津軽家の所有から離れ、陸軍の軍用地となります。兵士の食料を保管する糧秣廠に指定されましたが、稲荷はそのまま残ったのです。関東大震災や戦災に遭いましたが、戦後再建され、現在は錦糸町一丁目の守り神となっています。

大横川親水公園

津軽稲荷を出て西に少し歩くと、両側に細長い公園が現れます。大横川親水公園です。現在では緑が目立ちますが、江戸のころは大横川という河川が走っていました。
大横川は前回取り上げた横十間川と同じく、本所開拓の過程で開削された水路でした。万治三年(1660年)のことです。
しかし、昭和62年(1987年)に汚染などの理由により、その大半が埋め立てられ、大横川親水公園となりました。園内には釣堀や人口のせせらぎなどもあり、江戸の面影をかすかに伝えています。

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