江戸の名残を歩く

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第20回
水運と橋の街・深川を歩く

小名木川が隅田川に流れ込む辺り

深川は名前のとおり、川などの水路がここかしこに走る街です。深川に流れる川は人工的に造られたものばかりです。小名木川もその一つで、最初に開削された水路でした。
今回は小名木川からスタートしましょう。

清澄通りと高橋

都営地下鉄清澄白河駅から清澄通りに出ます。清澄通りと小名木川が交差する地点に架かっている橋を高橋といいます。まずは小名木川の歴史から振り返ってみましょう。
小名木川は徳川家康が江戸城に入った直後より、開削工事がはじまりました。その目的は、現在の千葉県行徳で作られた塩を江戸に運ぶためでした。塩は生活必需品であるだけでなく、当時は米とともに城に備蓄される軍需品でもあったのです。

高橋から小名木川そして水門の向こうは隅田川

家康が江戸に入ったころ、江戸周辺での塩の産地は江戸湾岸の行徳でした。そのため、江戸城への塩の供給ルートとして、行徳に通じる中川と隅田川を結ぶ小名木川を開削したのです。その長さは、4.6キロメートルほどです。後には、塩だけでなく、江戸近郊で作られた新鮮な野菜などを江戸の町に運ぶ水路としても活用されました。
江戸時代、小名木川には3つの橋が架けられていました。隅田川に近い方から、万年橋、高橋、新高橋です。高橋を渡りましょう。橋脚が非常に高かったことから、高橋と名付けられたそうです。

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