江戸の名残を歩く

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第16回
亀戸を歩く・その1

亀戸天神前

今回からは、墨田区の南に広がる江東区に江戸の名残を訪ねます。亀戸天神で知られる亀戸からはじめましょう。
亀戸駅を降りて、明治通りを北に向います。10分ほど歩くと、蔵前橋通りに突き当たります。そこを左折し、しばらく西に向って歩くと、右手に大きな鳥居が見えてきます。亀戸天神です。

鳥居

都内には湯島天神をはじめとする数多くの天神様が鎮座していますが、亀戸天神は江戸時代に入ってから創建された天神様です。江戸の復興や発展の歴史とも深い関わりがあります。
明暦3年(1657年)正月、江戸を火の海にした明暦の大火が起きました。一説には10万人を越える死者を出したと伝えられる大惨事でしたが、幕府は焼け野原になったことを逆手に取って、江戸の都市改造を断行します。隅田川の東側、当時は本所と呼ばれた現在の墨田区や江東区域の市街地化を進めたのです。本所地域に武家屋敷や寺院を移転させることで、江戸城周辺の過密化を防ぎ、江戸の防災都市化を推進しようとはかりました。

境内の庭園

以後、本所地域の開発が進んでいくことになり、幕府はその一環として土地を鎮める神様、つまり鎮守神を祀ろうと考えました。そこで白羽の矢が立ったのが、亀戸天神なのです。幕府にこの地を社地として与えられ、太宰府天満宮にならって境内の整備が進められました。

有名な藤棚

境内に入ると、まず眼に入るのは太鼓橋です。歌川広重をはじめ浮世絵師が描いたことで、藤棚とともに亀戸天神の代名詞となります。
亀戸天神というと、毎年1月24日と25日のうそ替えの神事が有名です。幸運を招く鳥とされるうそは、新しいうそに代えると、これまでの悪いことがうそになり、開運を招くとされていました。

ウソの碑

そのため、うそを交換する習慣が江戸のころより生まれました。いつしか亀戸天神でもうそを納めて新しいうそと取り替える参拝者で賑わうようになったのです。境内には、一刀彫のうその碑が建てられています。

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