江戸の名残を歩く

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第17回
亀戸を歩く・その2

香取神社入り口

亀戸の江戸の名残としては亀戸天神のほか、亀戸大根もあります。今回は亀戸大根の面影を追ってみましょう。
亀戸天神の前を走る蔵前橋通りを東に進みます。明治通りに突き当たったところで左折し、2~3分ほど歩くと、左に鎮守の森が見えてきます。香取神社です。
香取神社は、今から千年以上前の平安時代に関東を揺るがせた平将門の乱ゆかりの神社です。将門を打ち果した藤原秀郷(俵藤太)が戦いの前に戦勝を祈願しており、その願いは見事に叶ったのです。
以後、香取神社は特に武将や武道家たちから厚い崇敬を受けるようになりました。剣豪塚原ト伝や千葉周作からも崇敬を受けた由緒も相まって、現在ではスポーツ振興の神としても知られています。

亀戸大根の碑

では、武芸者から崇敬された香取神社の境内に入ってみましょう。鳥居を潜ると左手に手水鉢が置かれていますが、亀戸大根の石碑も建っています。
江戸近郊の農村では新鮮な野菜を求める江戸っ子の需要に応えて、大根、茄子、タケノコやネギなどの栽培が盛んでした。大根というと練馬大根が有名ですが、幕末の文久年間(1861年~1864年)に入ると、亀戸でも大根の栽培がはじまりました。亀戸大根の特徴は肉質が緻密で、根も葉も一緒に浅漬けや糠みそ漬けにすると美味しいということで江戸っ子の人気を博していたのです。
しかし、現在では亀戸大根を作っている農家は数少なくなってしまい、平成11年(1999年)に亀戸大根の栽培発祥を記念した石碑が香取神社内に建てられました。この石碑が亀戸大根の歴史を後世に伝える役割を担うことになり、現在香取神社では毎年大根収穫祭が盛大に執り行われています。こうした形でも、江戸は伝承され続けているのです。

亀井戸の碑

境内をさらに進みます。社殿の横に、別の碑が建っています。これは亀井戸の碑です。亀戸には亀ケ井という湧き水をもたらした井戸があり、その井戸の名前が亀戸という地名の由来になったという説があります。

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