江戸の名残を歩く

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第22回
紀伊国屋文左衛門の最後を追う

間宮林蔵の墓

海辺橋の手前で道を左に取り、仙台堀川に沿ってしばらく歩いていきましょう。10分ほど歩いて亀久橋のたもとまで来たら、左に曲がります。やがて本立院という寺院が現れますが、その境内に間宮林蔵の墓所があります。
伊能忠敬に測量術を学んだ林蔵は、幕府による蝦夷(えぞ)地(現北海道)の調査団の一員となり、樺太が島であることを明らかにします。これにより、ロシア大陸と樺太の間の海峡が間宮海峡と名付けられることになります。
天保15年(1844年)に死去し、本立院に葬られます。その墓石の字は、蝦夷地で官軍に最後まで抵抗した榎本武揚の筆によるものです。

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