江戸の名残を歩く

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第23回
伊能忠敬と深川を歩く

3回にわたって地下鉄清澄白河駅界隈の江戸名所を訪ねてきましたが、隣の門前仲町駅の辺りは、夏になると江戸の勇壮な祭りが再現されることで知られています。江戸三大祭りの一つに挙げられる富岡八幡宮の祭りです。
今回は、富岡八幡宮境内に江戸の名残を探していきましょう。

社殿

富岡八幡宮が創建されたのは、寛永4年(1627)のことです。当時、この辺りは永代島という島で、永代島に八幡像が安置されてから富岡八幡宮の歴史がはじまります。その後、深川の開拓、つまり埋め立てが進み陸続きとなり、江戸の発展に連動しながら深川も繁栄していきますが、その中心の一つが富岡八幡宮でした。その境内は、もちろん門前が絶えず参拝者でにぎわっていたのです。

富岡八幡宮の鳥居

永代通りに面して、富岡八幡宮の巨大な鳥居が立っていますが、鳥居をくぐって境内に入りましょう。

伊能の碑

入ってすぐ左に、深川めしのお店がありますが、その横に銅像が立っています。日本の全国地図を作成したことで知られる伊能忠敬(いのうただたか)の銅像です。なぜ、伊能の銅像が境内にあるのでしょうか。
当時、伊能は深川黒江町に住んでいました。現在の江東区の門前仲町一丁目ですが、伊能は測量調査に出発する時は必ず富岡八幡宮に参拝しました。そのため、調査に出発する姿の伊能の銅像が境内に置かれているのです。

神輿の倉庫

その右手には、お神輿(みこし)を収納する倉庫があります。ガラス越しに拝めるようになっていますが、江戸の三大祭りの名前にふさわしい巨大なお神輿です。

境内の力石

社殿の左横に目を注いでみましょう。石がいくつも置かれていますが、これは何でしょうか。
深川には物資を収める商人たちの蔵が水路沿いに数多く立ち並んでいましたが、そこで活躍したのが荷揚げ人足たちでした。水路を使って運ばれた荷物を船から陸揚げして蔵に収納する時、彼らが大活躍したわけです。
彼らは常日ごろから、腕っぷしの強さを誇っていました。そのため、重い石を持ち上げることで力自慢をしたわけですが、その時に使われた石が今も残されているのです。

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