江戸の名残を歩く

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第1回
徳川家ゆかりの地を訪ねる

日比谷通りまで来ると、大きな山門、三解脱門が立っています。この門をくぐると、増上寺境内に入ります。本堂の右手に安国殿という建物があり、この仏殿には、黒本尊阿弥陀如来が安置されています。

黒本尊は、家康とゆかりが深いと伝えられています。家康は、出陣の折には、この黒本尊に戦勝を祈願し、共に戦場に赴いていたからです。以後、家康が天下人となったことから、黒本尊は、「勝運黒本尊」として、代々の将軍から厚い信仰を集めていました。

安国殿の後ろには、「徳川家霊廟」という区画があります。秀忠・江夫妻をはじめ6人の将軍の墓所があります。それまでは、次にお話しするところに墓所がありましたが、戦後になって、この区画に改葬されました。

次に、三解脱門を出て日比谷通りを、南に少し歩いていくと、「台徳院廟惣門」が見えてきます。「台徳院」とは2代将軍秀忠のことです。

この門をくぐると、今はザ・プリンス パークタワー東京の巨大な建物が見えますが、昭和33年(1958年)までは秀忠と江の壮大な墓所がありました。台徳院廟と崇源院廟です。崇源院とは、江の法名です。

歴代将軍は毎年、秀忠の祥月命日になると、この台徳院廟惣門をくぐって、秀忠の墓所に詣でました。将軍に続いて、大名たちも詣でましたから、その光景は壮観なものだったことでしょう。

しかし、先ほど、お話しました通り、そんな光景が繰り広げられた秀忠・江の墓所は、現在、「徳川家霊廟」という区画に移されてしまいました。壮麗な台徳院廟惣門だけが、かつての歴史を現在も伝えているのです。

(※画像提供 BPnet SECOND STAGE)

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