江戸の名残を歩く

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第5回
紀州徳川家ゆかりの赤坂界隈を訪ねる・その1


清水谷坂

前回は徳川御三家筆頭尾張藩ゆかりの江戸を訪ねました。今回は、徳川御三家の2つ目、紀州藩ゆかりの江戸を訪ねます。紀州藩の石高は尾張藩よりも少ない55万石でしたが、2人の将軍を出しています。暴れん坊将軍こと8代吉宗と、悲劇の将軍として知られる14代家茂です。

紀州藩の上屋敷は麹町にありました。しかし、それほど広い敷地ではなかったため、紀州藩では赤坂にあった中屋敷を上屋敷として代用していました。そして、下屋敷は築地などにありました。

紀尾井坂

まずは、本当の上屋敷である麹町屋敷から訪ねてみましょう。

有楽町線麹町駅から地上に出ると、目の前に国道20号線つまり甲州街道が走っています。南側に歩いていくと、坂に突き当たります。清水谷坂といいます。

清水谷坂を下りていくと、前方に上り坂が見えます。紀尾井坂です。

坂の名前の由来について、お話しましょう。江戸のころは紀尾井坂を挟む形で紀州藩のほか、尾張藩、彦根藩井伊家の屋敷がありました。そのため、頭文字を取る形で「紀尾井」という名前が作られて坂名となり、後に紀尾井町という町名も生まれました。

紀州藩屋敷があった場所は、赤坂プリンスホテルが建っている場所です。尾張藩屋敷があった場所は上智大学敷地。井伊家屋敷があった場所はホテルニューオータニが建っています。

では、紀州藩上屋敷があった場所に向かうことにしましょう。

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