江戸の名残を歩く

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第9回
スカイツリーの建つ押上を歩く

吾妻橋

来年開業する東京スカイツリーは、既に東京の新観光名所として人気が高い建物です。建設中の東京スカイツリーの写真を撮る人が絶えませんが、その界隈には江戸以来の名所がいくつも残っていることはあまり知られていません。
今回から、東京スカイツリー人気に沸く東京都墨田区を巡っていきます。最初は東京スカイツリーの建つ墨田区押上・業平に江戸を訪ねていきましょう。

浅草駅を出て、吾妻橋の方に歩いていきます。吾妻橋は、江戸のころは大川橋と呼ばれていました。架橋されたのは、安永3年(1774年)のことです。吾妻橋が架けられたことで、浅草と本所の行き来は各段によくなり、以後向島も繁栄していきました。
吾妻橋に行くと、東京スカイツリーの写真を撮る人に必ず出会います。渡り切った所に、吾妻橋観光案内所がありますので立ち寄っていきましょう。

源森橋

隅田川に沿う形で建っている墨田区役所の横を通りながら、北十間川を渡りましょう。架かっている橋は枕橋といいますが、かつては源森橋といいました。
北十間川は、万治年間(1658年~1661年)に幕府によって開削された川です。幅が10間あることから、そう名付けられましたが、以前、この辺りは源森川という川でした。源森川は、寛文年間(1661年~1672年)に開削された川です。
源森川と北十間川は別の川でしたが、明治に入ってつながり、源森川も北十間川と呼ばれるようになったのです。そのため、江戸のころは源森橋と呼ばれていました。現在の源森橋は、東側にある橋です。東京スカイツリーを真正面に見ながら、源森橋に向って歩いていきましょう。

改築中の業平橋駅

源森橋を渡ると向島ですが、そのまま北十間川に沿って東武伊勢崎線業平橋駅に向います。この駅は、やがて東京スカイツリー駅と改名されることになっており、駅前の整備が進んでいます。

業平橋

業平橋駅の前に架かっている東武橋を渡って、浅草通りに出ます。そのまま南に下っていくと、本所税務署が現れます。この辺りは銭の製造所である銭座が置かれていました。小梅銭座と呼ばれており、今は碑だけが江戸の名残りを伝えています。

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