江戸の名残を歩く

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第10回
向島を歩く・その1

見番通り

スカイツリーが建っている場所は、江戸のころは向島と総称された地域でした。向島は風光明媚な景勝地として江戸っ子の人気を呼んだ観光地でしたが、今もそうした面影は各所に残っています。
押上に続いて、向島に残る江戸名所をめぐっていきます。

東武伊勢崎線業平橋駅を出て、言問通りを隅田川に向って歩いていきましょう。そのまま歩いていくと、言問橋となりますが、道を右に取って見番通りを進みます。見番とは何でしょうか。
見番とは、芸者衆を料亭などに取り次ぐ所です。いわば、芸能事務所ならぬ芸者事務所のような役割を果している場所です。江戸のころから、向島では数多くの料亭が営業しており、その賑わいに大きく貢献したのが向島芸者の存在でした。

向島墨堤組合の事務所

向島の芸者衆が所属しているのが、向島の見番こと向島墨堤組合です。この通り沿いに見番が置かれていることで、見番通りと名付けられました。
見番通りを北に向って進んでいきましょう。間もなく、すみだ郷土文化資料館が現れます。館内では、隅田川や向島の賑わいがジオラマで再現されています。
資料館のすぐ隣りには、三囲神社が鎮座しています。三囲稲荷の名前で江戸っ子に人気で、三井家が厚く信仰した神社としても知られていました。境内に入ると、奉納物のここかしこに三井の名前を見つけられます。
やがて見番通りは桜橋通りと交差しますが、その手前に先ほどお話した向島墨堤組合があります。

弘福寺の山門

そのまま見番通りを歩いていくと、弘福寺という寺院が現れます。隅田川七福神の一つ布袋尊が祀られています。
弘福寺の山門は、一見して異国風の建物です。弘福寺は中国の影響が強い禅宗の宗派黄檗宗の寺院であるため、建物も中国風なのです。中国との交流が深い長崎に行くと、黄檗宗の寺院も多いため、似たような建物をよく見かけます。
弘福寺は勝海舟とのゆかりでも知られます。青年時代の海舟が、この寺院で四年間も禅を修業したと伝えられています。

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