江戸の名残を歩く

バックナンバー

第28回
谷中で千代の富士に出会う

さらに言問通りを東に進んでいくと、右手に寛永寺の境内が見えてきます。この辺りの地名は同じ台東区でも谷中ではなく、上野桜木といいます。名前の通り桜の樹木が多かったことで、明治に入ってそう命名されました。

浄明院門前

そして、寛永寺と向かい合う形で、その子院としての由緒を持つ寺院が現れます。浄明院です。階段を下りて、境内に入っていきましょう。

この寺院は、寛文6年(1666年)に創建された寺院ですが、何と言っても境内の地蔵の多さで知られています。なんと25000体もあるそうです。嘉永3年(1850年)に千体地蔵尊の建立が発願されたのですが、その願が達成された後も引き続いて地蔵が建立された結果なのです。

地蔵群
江戸六地蔵の一つ

銅製の座像姿の地蔵もあります。江戸六地蔵の一つですが、元々は深川永代寺内に造られた地蔵でした。ところが、明治に入り永代寺が廃寺となったことで、六地蔵の一つが欠けた状態になりました。それを残念に思った浄明院の住職が、明治39年(1906年)に六地蔵の一つとして建立したのです。
谷中では寺だけでなく、たくさんのお地蔵様に出会うことができるのです。

コメント