江戸の名残を歩く

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第29回
上野で葵の紋所に出会う

上野公園は内外の観光客で賑わう日本の人気観光スポットの一つですが、江戸時代には寛永寺という巨大寺院の境内でした。境内には将軍の墓所(霊廟といいます)もあったので、上野公園を歩いてみると、寺の遺構や将軍ゆかりの史跡が数多く残されている事に気づきます。
3回にわたって、上野公園に江戸の面影を探していきましょう。

上野駅の公園口を降りると、上野公園が広がっています。寛永寺の本堂は公園口の正面にあたる噴水の辺りにありましたが、現在は別の場所にあります。JRの線路を右手にみる形で寛永寺に向かって歩きます。

残された石燈籠

やがて、写真のように寺町が現れます。寛永寺が建っていただけあって、この界隈には寺院が集中していますが、そんな寺町のなかを歩いてみると、石燈籠がいくつも目に飛び込んできます。諸大名が将軍の霊廟に奉納した石燈籠です。
寛永寺には6人の将軍の霊廟が建立されたため、奉納された石燈籠も総数1000基以上にも達しました。しかし、明治に入ると、境内の大半が明治政府に取り上げられ、霊廟も縮小されたため、石燈籠の多くが行き場を失い行方不明となってしまいました。かろうじて、わずかの数の燈籠がこの界隈で保存されています。写真の燈籠はその一つです。

続けて北に歩いていくと、寛永寺の広大な霊園が見えてきます。その中に将軍の霊廟があるわけですが、この辺りの道はタクシーの停車場となっています。

4代家綱の霊廟門

そうした事情は4代将軍家綱の霊廟の門前も同じです。この門を入ると、広大な家綱の墓所が広がっていたのですが、現在は大半が寛永寺檀家の霊園になってしまいました。

5代綱吉の門

さらに、家綱の霊廟門近くには、弟にあたる5代将軍綱吉の霊廟門があります。この門を入ると綱吉の墓所が広がっています。また、その近くには13代将軍家定の墓所や、その御台所、篤姫の墓所もあります。

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