江戸の名残を歩く

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第30回
徳川家康を魅了した僧侶の面影を追う

両大師堂正面
その山門

公園内には、もう一つ天海の面影が残されています。東京国立博物館の横に立っている両大師堂です。「慈大師」こと良源、そして「慈眼大師」こと天海を祀るお堂です。この2人の大師を祀っていることから、両大師堂と呼ばれたわけです。

本堂前

天海の死後のことですが、正保元年(1644)に天海の像を安置する御堂が寛永寺境内に造られます。そして、慶安元年(1648)に天海は朝廷から慈眼大師の称号を贈られました。その称号を取って、御堂は慈眼堂と名付けられたのです。

もう1人の大師である良源とはどういう人物なのでしょうか。平安中期の天台宗の僧侶ですが、比叡山の復興に努めたことにより、天台宗中興の祖と称せられます。そんな良源を天海は厚く尊敬しました。
こうしたゆかりにより、慈眼堂に慈大師こと良源の像も安置されることになります。その結果、慈眼堂は両大師堂と呼ばれるようになります。

江戸の頃は、寛永寺とともに上野の観光名所として賑わいました。桜の名所でもありました。寛永寺は明治維新の折に、往時を偲ばせる堂社の大半を失ってしまいます。しかし、開山である天海の面影は今も残されているのです。

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