大河ドラマ「八重の桜」の世界をめぐる

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第3回
八重や覚馬の運命の分かれ道

ドラマの舞台は、会津から京都に移っていきます。
それまで、綾瀬はるかさん演じる八重と西島秀俊さん演じる覚馬は一緒に暮らしていましたが、覚馬が殿様の容保と一緒に京都に向かったことで会津と京都でドラマが同時進行する形となります。
山本家には、八重のほか、父の権八と母の佐久、弟の三郎そして居候の川崎尚之助が住んでいました。

大砲や鉄砲の使い方を教えるのを任務とする砲術指南役の覚馬は、京都で藩士たちに厳しい射撃訓練を課します。
テロ行為に走る尊王攘夷(そんのうじょうい)の志士たちを取り締まり、京都の治安維持を実現するには鉄砲の腕前を上げることが必要だったからです。

当時、武士は何よりも刀と槍(やり)の腕前を重んじました。
しかし幕末は、最新式の鉄砲や大砲を備えた西欧諸国が日本を侵略しようと狙っていた時代でした。刀や槍で戦う者たちと、鉄砲や大砲を装備した軍団が戦えば、勝敗は明らかでしょう。

尊王攘夷の志士たちの背後にいる薩摩藩や長州藩は、鉄砲や大砲を装備した軍団を持っていました。
ですから、覚馬は薩摩藩や長州藩との戦いを見据え、京都で射撃訓練に明け暮れていたのです。

覚馬たち会津藩士が、京都で長州藩と戦う時がやってきます。
元治元年(一八六四)七月十九日に起きた禁門の変で、大砲隊を指揮する覚馬は京都御所に攻め込んできた長州藩を破ります。
このときは、薩摩藩は会津藩に味方して長州藩と戦っています。

薩摩藩を指揮していたのは西郷隆盛です。
演じるのは吉川晃司さんですが、ずんぐりむっくりした西郷さんのイメージからは少しズレるかもしれないですよね。
実は、西郷と覚馬はお互いを認め合った仲でした。
覚馬にとって命の恩人になることは、これからドラマで明らかにされるはずです。
そのころ、会津の留守宅で八重たちはどんな生活を送っていたのでしょう。

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