大河ドラマ「八重の桜」の世界をめぐる

バックナンバー

第5回
覚馬の異変

今から約百五十年前の慶応元年(一八六五)に、綾瀬はるかさん演じる山本八重は長谷川博己さん演じる川崎尚之助と結婚します。川崎八重という名前になったのです。八重は二十才、尚之助は二十九才でした。

結婚したといっても、別の家に住んだのではありません。もともと尚之助は山本家に居候の身でしたが、結婚後も引き続き居候の身だったのです。
会津藩士に取り立てられれば、会津藩から屋敷が与えられるはずでしたが、西島秀俊さん演じる八重の兄・山本覚馬の奔走にも関わらず、結婚当時は出石藩士のままで、会津藩士には採用されなかったのです。
嘱託の身分で、藩校日新館で西洋の学問を教えていました。

ですが、その後間もなく、尚之助は会津藩に召し抱えられます。晴れて藩士、つまり嘱託から正規社員に採用されたわけですが、別の屋敷に住むことはなく、山本家に同居したままでした。

当時の山本家の家庭状況をみておきましょう。
山本家には、父の権八、母の佐久、覚馬の妻・うら、その娘・みね、弟の三郎、そして八重と尚之助夫婦が住んでいました。
文久二年(一八六二)に、綾野剛さん演じる殿様の松平容保(かたもり)が京都守護職に任命されたことで、そのお供の一人として覚馬は京都に向かいました。文久二年(一八六二)十二月九日のことでした。

その半年ほど前の五月二十日に、覚馬はうらとの間に女児を設けます。名前をみねといいました。生まれたばかりの乳飲み子を残して、覚馬は京都に旅立ったのです。
容保の在職期間は五年近くに及びました。覚馬も会津に戻れず、京都での生活が続きます。次第に、覚馬とうらの間にはすき間風が吹くようになります。
結局うらとは生き別れになるのですが、その前に覚馬の身体に異変が起きるのです。

コメント