人はなぜ『道』を探すのか?庭道への道

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第12回
心の桜(その1)

ところで、花見の時期、僕はいつも思うことがある。それは「日本人の心、捨てたもんじゃなか~!」ということ。一週間ほどしか咲かない桜の花をめでるために、力を入れる「日本人の心」。場所とりや準備など大変なのに、風もビュービュー強く雨もザザーって降る時期なのに…。でも、それがすばらしい。それが日本人感動するんよねー!み~んなもそう思わんね?多分そう思うとるよね~。

花が咲くころに桜の開花と共に花を眺めることもステキなこと、じゃっけど、1本あるいは1カ所の桜を1年間眺め続けるのも、最高にステキなことじゃ~。
1本の桜がランランと散り、葉ざくらとなる。夏を越えたら紅葉し、やがて葉がチラチラ~と散り、寒眠へと入り寒をしのぐ。この一連の変化を1年間かけて眺めた後、再び桜がパァーっと満開となる。今まで以上に、桜の美しさ、はかなさを感じる。すべての桜の開花を眺められるわけではないから、1本の桜を見守り続ける。

不二桜

写真より、肉眼で見る桜はたまらない。
桜のランランと散る姿はもっと美しい。
花見弁が舞う時期、桜を樹の上から見下ろすのは、この上ないグッとくるほどぜいたくだと思う。

僕が見守り続けている桜は、世界遺産にも登録されている京都の東寺にある「不二桜」(エドヒガシ)です。皆さんも機会があればぜひ足を運んで、五重の塔をバックに眺めてみてください。

不二桜の120年間という「生きざま」に、きっと心を動かされることじゃろう。花見をするときは、上を見て楽しんでくださいね。下を向いたらもったいなかですが~。

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