お取り寄せからみたニッポン

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第13回
福井県・高品質で個性派な鯖江の眼鏡

OEMから産地統一ブランドへ

コンタクトレンズが苦手で、ずっと眼鏡が欠かせない生活をしてきた。長年愛用してきたオレンジ色のフレームがグラつくようになったので、買った店に修理にだしたところ、鯖江に送って塗装も直してくれるという。特殊な色だから、作ったところでないと同じにならない、というのだ。
そこまで聞いてはじめて福井県の鯖江が、日本一の眼鏡産地であることを思いだした。
聞いてみたら、なんと国内シェアの96%を鯖江で生産しているという。通勤途中や会社でみかける人がかけている眼鏡も、みな鯖江産の可能性が高い。そもそもなぜ、鯖江は眼鏡産業が盛んなのだろうか。

ヨーロッパの眼鏡が日本に入ってきたのは、1551年。宣教師フランシスコ・ザビエルが山口の大内義隆に献上した品の中に、望遠鏡や洋琴、鏡などに混じって、手持ち式の眼鏡があったとされている。よく時代劇でみかける紐で耳にかけるタイプの眼鏡は17世紀に入ってからのものだそうだ。17世紀の終わりには、日本でも眼鏡が普及するようになり、明治維新をきっかけに眼鏡生産が始まったという。
鯖江(初期は隣接する福井市麻生津)で眼鏡の生産が始まったのは、明治38年。農業以外の産業の普及を考えていた増永五左衛門が、眼鏡枠作りに着目して、大阪や東京の名工・豊島松太郎などの職人を招いて、眼鏡の製造技術を伝えたことが始まりだという。初期は苦労を重ねたが、明治44年には展覧会などで評価される製品を作るようになった。

特徴的なのは早くから「帳場」とよばれる職人グループごとに眼鏡を請け負い生産する仕組みを取り入れていたこと。「増永一期生」と呼ばれる技術者の元、職人集団による製造組織を作り、互いに競い合いながら品質向上に励み、それによって独立分業が進んで、現在のような一大生産地に発展したのだという。

1940年代終わりにはセルロイド枠の全盛期を迎える。1984年ごろには、軽くて耐久性のあるチタンを使った眼鏡フレームの製造も本格化。2003年には社団法人福井県眼鏡協会と鯖江商工会議所が中心となって、産地統一ブランド「THE291」(291はフクイ)を発足。眼鏡の聖地として、福井産(100%日本製の高品質フレーム)であることを消費者にアピールしている。
鯖江の眼鏡が、メーカーのOEM生産だけでなく、高い技術力と高品質の産地統一ブランドとして、認識される時代になったのだ。

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