江戸の名残を歩く

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第30回
徳川家康を魅了した僧侶の面影を追う

前回も触れたように寛永寺の開山は天海僧正という人物です。今回はその面影を追って上野公園内を歩きます。いったい天海とは、どのような人物なのでしょうか。

天海は謎の多い人物ですが、天文5年(1536)に陸奥国会津の大沼郡高田郷で生まれたと伝えられます。10才の時に隋風と名乗りましたが、55才の時に天海と改名します。
比叡山延暦寺をはじめ各地の寺院で勉学に励んだ後、川越の喜多院をはじめとする寺院の住職を歴任しますが、慶長15年(1610)、徳川家康と駿府城ではじめて対面します。天海75才の時でした。

天海の才は家康を魅了します。以後、その厚い信任を得ますが、18年(1613)に日光山の住職になります。元和2年(1616)4月に家康が駿府で死去すると、天海は家康を祀る東照宮の造営を開始し、同3年(1617)に完成させます。こうして、家康は日光山に埋葬されます。

毛髪塔

その後、2代将軍秀忠、3代将軍家光に仕え、寛永20年(1643)に107才をもって上野東叡山寛永寺で死去します。遺骸は日光山に葬られましたが、上野公園内にも天海の毛髪を収めた塔があります。天海僧正毛髪塔です。寛永2年(1625)に、幕府によって寛永寺が創建されますが、その初代住職に任命されたのが天海だったためです。
そして、天海僧正毛髪塔は天海の遺徳を今に伝えています。

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