文化とアートのある暮らし

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第2回
「不器用な休符」

緑のむしかごと卵。
このむしかごと卵は、楽譜とオタマジャクシ(音符)をイメージしています。
緑のむしかごと卵。
このむしかごと卵は、楽譜とオタマジャクシ(音符)をイメージしています。

ところで、人との会話の中で「言葉」による理解はどのくらいだと思いますか?人との会話には、多かれ少なかれ身振り手振りがあったり、表情や声のテンションなどの様々な要素が複合し、その様々な要素を手がかりに相手の意図を理解していくようです。つまり会話が成り立つ条件は決して言葉に限定されるわけではありません。また、たとえ言葉が会話の大半を繋いでいても、言葉が発音されて音になっていく瞬間、その、ほんの一瞬の休符は言葉によって説明されるものではなく「意味」を超越した宇宙がみられるかもしれません。これがもし音楽上での出来事だったらいかがでしょうか。

ピアノ演奏を行っている一方で不揃いの休符を体からあふれだすように音作りを行っています。不器用すぎると言われた私の場合、それは恥ずかしさも抱えながら作家としては大事な下地になっているかもしれません。何が良くて何が良くないか。自分で上手く整理ができないかもしれない、加えてあまり自分の中で決めつけないでやりたいことをまっすぐにやらせていただいていることに感謝しています。

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