江戸の名残を歩く

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第3回
尾張徳川家の幻の庭園・戸山荘を訪ねる・その1


穴八幡の鳥居

神楽坂を登り、早稲田駅の方角に向かって歩いていくと、こんもりとした鎮守の森が見えてきます。穴八幡宮です。

穴八幡は鶴岡八幡宮に祀られている八幡太郎こと源義家が開いた社で、江戸のころは将軍も参拝する神社として知られていました。将軍の祈願所だったので、火災などに罹災したときは、幕府からの援助を受けて再建工事が行われていました。


境内入口の門

8代将軍吉宗の時のことです。享保13年(1728年)に世継ぎの家重が疱瘡にかかったため、吉宗はその平癒のため流鏑馬を奉納しました。これを機に、将軍やその家族が病気にかかった時などに流鏑馬が奉納されるようになりました。現在でも毎年体育の日に、戸山荘があった戸山公園内で神事でもある流鏑馬が執り行われています。

隣には、放生寺という寺院があります。江戸時代に入ってから創建された寺院で、江戸のころは穴八幡宮を管轄下に置いていました。


放生寺入口
放生寺の説明文

放生寺という名前の通り、寺院では放生会という儀式が執り行われることがありました。捕獲した魚や鳥獣などの生類を山野や池沼に放す儀式のことです。そのため、寺院には池がある場合が多かく、その名前は、ご想像通り、「放生池」といわれていました。


放生池

この放生寺が放生会を執り行う寺院として知られた寺院だったことは、名前からして一目瞭然でしょう。現在も境内には放生池があります。

池に放す生類としては亀や鰻が定番でした。ですから、寺院の前には亀などを売る店が並んでいることがありました。

将軍が戸山荘を訪れる時は、この放生寺で休憩した後、屋敷に入っていくことになっていました。寺院に限らず、将軍の休憩所に指定されると御膳所と呼ばれるようになります。次回は、放生寺で休憩した将軍が向かった先・戸山荘に入ってみることにしましょう。

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