江戸の名残を歩く

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第4回
尾張徳川家の幻の庭園・戸山荘を訪ねる・その2


戸山荘の説明文

これから訪ねていく戸山荘は13万坪以上の規模を誇った庭園で、実際に歩いてみると、その巨大さが良く分かります。東京ドームの約10個分の規模と言った方が分かりやすいかもしれません。

戸山荘跡には現在、国立国際医療センター・早稲田大学文学部・戸山ハイツ・学習院女子大学・戸山公園などが建っています。新宿区戸山1~3丁目が、まるまる庭園だった格好です。


箱根山通り

現在残されている戸山荘の絵図面には、神社や堂塔が38カ所、あずまやのような茶亭も107カ所描かれています。宿場も描かれており、これは本物そっくりのレプリカでした。何のためにレプリカが作られたのかは、これからご紹介していくことにしましょう。

その景観については、前回訪れた穴八幡宮が所蔵している絵巻が参考になります。なだらかな庭園というよりも、山あり谷あり。巨大な池や滝もあります。起伏に富んだ渓谷と表現した方が正確かもしれません。

その一方、のどかな田園風景も造られていました。いずれにしても、見所満載の庭園で、その内25カ所のスポットは「戸山荘二五景」として広く知られていました。


箱根山

そうした自然景観を将軍も楽しんだわけですが、「戸山荘二五景」の1つに、「麻呂カ獄」という名前の山がありました。玉円峰とも呼ばれましたが、実は人工の山でした。

かつて、戸山荘の中央部には2万坪もの池がありました。これも、元々あった池ではなく、尾張藩による人工の池でした。この池の造成のために掘り出された土によって築かれたのが「麻呂カ獄」だったのです。

庭園には、山に見立てて土砂や砂で築いた山が設けられることがあります。これを築山と言いますが、広大な庭園だけあって、築山のスケールも並み外れていました。

この築山は、20メートルもの高さがありました。将軍が戸山荘を訪れた時は、頂上に床机が置かれ、その上に毛耗も敷かれました。その築山に立つと、庭園はもちろん、江戸の眺めも一望できたそうです。

現在、「麻呂カ獄」は箱根山と呼ばれています。江戸の頃は、将軍やお殿様など限られた人しか登れませんでしたが、今は誰でも登れる山となりました。

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