江戸の名残を歩く

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第4回
尾張徳川家の幻の庭園・戸山荘を訪ねる・その2


箱根山公園

箱根山という名称の由来ですが、戸山荘内にあった宿場町のレプリカと大いに関係があります。東海道小田原宿をモデルにしたと伝えられる宿場町には37軒もの店が約140メートルにわたって建ち並んでいました。

時代劇のセットのように、実寸大に造られており、米屋・酒屋・八百屋・薬種屋・植木屋・旅龍屋などの店舗が軒を連ねていました。

殿様であるがゆえに、自由に江戸屋敷の外に出ることはできません。そんな息苦しい環境から解放され、旅に出たような感覚を味わいたいという殿様の願望が、宿場街のような建物を生んだのかしれません。

宿場には殿様クラスが宿泊する本陣がありました。戸山荘内に造られた宿場町にも本陣がありましたが、虎屋という暖簾が掛けられ,看板にはのどの薬である外郎を連想させる言葉が記されていたそうです。江戸のころは、虎屋と言えば小田原で外郎を扱う薬屋として広く知られていました。

江戸の人が見れば、一見して小田原宿の薬屋虎屋藤左衛門の店を連想できる仕掛けだったのです。こうした趣向こそが、この宿場町を小田原宿に見立てたものとする根拠になっています。このようなことから、その近くにそびえ立つ山「麻呂カ獄」は、箱根山と呼ばれるようになったというわけです。

明治に入ると、戸山荘はどうなったのでしょうか。陸軍戸山学校の用地に指定され、演習場が設営される過程で庭園は幻と消えました。そして現在では、この箱根山のみが在りし日の戸山荘を伝えているのです。

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