江戸の名残を歩く

バックナンバー

第7回
水戸徳川家ゆかりの小石川界隈を訪ねる・その1

東京ドームを左手に見ながら、白山通りから春日通りに入っていきましょう。後楽園が見えてきます。

後楽園の入口
後楽園の園内図

後楽園は水戸藩初代藩主徳川頼房の時に作庭がはじまりましたが、完成したのは息子の光圀の時代です。後楽園は、「蓬莱島」や「円月橋」など中国の名所の名前が付された景観が配されているのが特徴でした。

大名屋敷には、将軍や同僚の大名を接待する空間として庭園が造られるのが定番でしたが、実際に将軍が訪れたのは御三家クラスの大名が持つ庭園だけでした。そのうち現在まで残され、一般公開されているのは水戸藩の後楽園だけなのです。

明治に入ると、小石川上屋敷は政府に取り上げられてしまいます。そして、殿様が住んでいた御殿は砲兵工廠に変貌しますが、後楽園はそのままでした。しかし、砲兵工廠は軍事工場であるため、その煙突から出る煙が後楽園の樹木を枯らしていきます。

そのまま放置すれば現在の後楽園はなかったかもしれませんが、幸運にも後楽園は砲兵工廠の用地には指定されず、庭園として保存されることになりました。そして現在も、都内の緑の空間として人々の憩いの場となっています。

コメント