江戸の名残を歩く

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第36回
浅草で伊能忠敬のお墓をお参りする

前回は仏壇通りの南側にある神社や寺院をお参りしましたが、今回は北側に点在する寺院をお参りします。東京メトロ銀座線田原町駅からスタートです。

田原町駅を出て浅草通りを西に向かいます。やがて、右手に合羽橋道具街が現れます。料理道具、食器、陶器、家具などの道具街として有名ですが、合羽橋という名前の由来については2つの説があります。
1つ目の説は、この地域に架かる橋に雨合羽が並べられていたからというものです。ある大名の屋敷で生活する下級藩士たちが内職で雨合羽を作り、天気の良い日に橋の上で干しました。その光景が橋の名前の由来となり、地名にもなったというわけです。
2つ目の説は、河童に由来します。この地域は水はけがたいへん悪く、少しの雨で洪水になっていました。そのため、文化年間(1804-18)に合羽川太郎という者が私財を投げ出し、排水工事に取り掛かりましたが、なかなか進みません。それを見かねた隅田川の河童たちが、夜な夜な排水工事を手伝ったのだそうです。これがきっかけとなり、この地域に架かっていた橋の名前として、河童改め合羽という言葉が付けられるようになったというのです。

かっぱ寺門前
合羽川太郎の石碑

合羽橋道具街の近くには、合羽川太郎のお墓と伝えられる石碑があります。かっぱ寺の異名を持つ曹源寺という寺院の境内に、その石碑が置かれています。

河童を祀る社

境内には河童大明神を祀る社もあります。隅田川の河童たちが排水工事を手伝ったという伝承から、合羽を着た河童を目撃すると商売が繁盛したとの噂が広まり、いつしか、河童大明神が祀られるようになりました。

曹源寺の近くには、同じく水に関わる人物の墓所が置かれた寺院があります。聖徳寺をお参りしましょう。


玉川庄右衛門のお墓
玉川清右衛門のお墓

この寺には、玉川上水を開削したことで知られる玉川兄弟の墓所があります。江戸っ子は、神田上水と玉川上水を飲み水にしていました。多摩川を取水源とする玉川上水の場合、その水路は江戸まで40キロ以上もの長さがありました。その開削工事を請け負ったのが、玉川庄右衛門・清右衛門兄弟でした。

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