江戸の名残を歩く

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第36回
浅草で伊能忠敬のお墓をお参りする

最後に、もう一つ江戸の偉人の墓所がある寺院を御参りしましょう。源空寺です。浄土宗の寺院ですが、家康が江戸に入った天正18年(1590)に創建されました。当初は湯島にありましたが、明暦の大火により浅草の地に移転します。

文晃のお墓
長兵衛のお墓

源空寺には、画家として知られる谷文晃や歌舞伎でも御馴染みの侠客幡随院長兵衛の墓所がありますが、街歩きの元祖のような人物も葬られています。日本地図を制作するため全国各地を踏破した伊能忠敬の墓所です。

伊能忠敬のお墓
高橋至時のお墓

寛政7年(1795)に、忠敬は幕府の天文方に勤める高橋至時の弟子になり、測量技術を学びます。既に50才に達していた忠敬よりも、高橋は19才年下でした。ところが、文化元年(1804)に師に先立たれてしまいます。
忠敬が死去したのは文政元年(1818)のことですが、死に臨んで年下の師である高橋のの傍らに葬って欲しいと遺言します。こうして、高橋の墓所の横に忠敬は葬られたのです。その墓石には「東河伊能先生之墓」と刻まれています。
江戸の健脚のシンボルのような伊能忠敬の墓所を御参りして、江戸の名残を訪ねる活力を備えていきましょう。

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