大震災特別寄稿

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第5回
フロムナウ取材陣が感じた震災41日後の“福島”〜その1〜

東北道を北上!震災の影響を感じさせない福島市内へ

東京から北へ、約290km。福島県の県庁所在地である福島市へと向かうため、取材陣は2台の車に分乗し、東北自動車道をひた走った。土曜日ということもあり、思いのほか交通量が多い。あとから分かったことだが、被災された家族や親戚に支援物資を届けようという方が多かったようだ。

よく目をこらしてみていると、「災害派遣」などと書かれた自衛隊の車両、トラックなども走っている。明らかに大震災前とは、周りの風景が一変していた。特にそう感じさせたのは、道路の状態だ。震災後、驚くほど短時間で開通した東北自動車道。しかし、北上するに従って継ぎ目などないはずの道路に、デコボコとした段差が見られるようになっていく。段差をタイヤが越えるごとに、車内にはドンドンという下からの突き上げがある。まるで継ぎ接ぎだらけの首都高速を走っているかのような感覚。一つひとつの振動を感じながら、今回の地震がいかに強大なものだったのかを感じさせされた。

福島西で東北自動車道を降り、福島駅のある中心街方向へ進む。目の前に広がる福島市内の町並み。それを見て、「本当に巨大な地震に襲われたのだろうか……」という印象を持った。それもそのはず、福島市内の最大震度は「5強」(ただし気象庁は、6月23日になって福島市五老内町で「6弱」を観測したと発表している)。東京都千代田区の最大震度と同じだったのだ。見渡す限り、地震によって被害を受けた様子は全くない。一部の住宅で屋根瓦が崩れ、ブルーのビニールシートをかぶせたような家はあるものの、それは東京都内でも同じ。特に被害が大きかったという印象は見て取れなかった。


道を歩いている人も普段通り。マスクをしている人なんて、ほとんどいない。念のため持っていったマスクも、カバンから取り出すことはなかった。「都内の様子と、何ら変わらないですね」と思わずつぶやいてしまったほどである。震災直後に見られたガソリン不足も一段落し、ガソリンスタンドは通常の営業を続けている。ガソリン価格も都内と変わらない。東京に比べると福島市内は震源地に近いわけだが、そんな実感は市内を見た限り全くなかったのだ。

夜になると、その思いはさらに強くなる。当時、首都圏では計画停電が実施され、店舗などは夜の照明を消したり、暗くするなどの対応が過度に取られていた。都内から夜の明かりが失われていたころである。すっかり都内の暗さに慣れ始めた我々の目には、福島市内は、明るく、華やかに映ったのだ。ようやく、夜の街へ出てくる人も増えたということだったが、その光景が「逆境に負けないぞ!」という意思の表れのように感じられた。

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