大河ドラマ「八重の桜」の世界をめぐる

バックナンバー

第1回
幕末のジャンヌダルク”新島八重”とスペンサー銃

「八重の桜」のヒロインは新島八重ですが、しばらくの間、ヒロインの綾瀬はるかさんは「山本八重」という名前で登場します。新島八重というのは、実は明治9年(1876)からの名前です。同志社大学の創立者として知られる新島襄(にいじま・じょう)と結婚したことで「新島八重」となります。新島襄を演じるのは、ジョーつながりかどうか分かりませんが、オダギリジョーさんです。

八重が会津若松で生まれたのは、弘化2年(1845)11月3日のことでした。会津藩で武士たちに大砲や鉄砲の使い方を教える「山本権八」という人物の娘として生まれます。母の名前は「佐久」といいました。父を演じるのは松重豊さん、母を演じるのは風吹ジュンさんです。

二人の間には、三人の子供がいました。八重は真ん中です。兄の覚馬(かくま)は、十七才年上。弟の三郎は三才年下でした。覚馬を演じるのは、若い女性に人気の個性派俳優・西島秀俊さんです。理知的な雰囲気がありますよね。
弟の三郎を演じるのは、工藤阿須加さんという俳優です。あまり聞き慣れない名前ですが、お父さんは西武や巨人で活躍した200勝投手の工藤公康さんです。

ドラマでは、西島さん演じる覚馬が、妹八重に大きな影響を与える人物として描かれています。十七才も年の差がありますから、お兄さんというよりお父さんに近い存在だったのかもしれませんね。綾瀬さんと西島さんの実年齢も十才以上離れていますから、バランスの取れた配役ですよね。
八重は覚馬から鉄砲の使い方を学びましたが、結婚相手までお兄さんが勧めた男性を選んでいます。男性など相手にしないスーパーウーマンでしたが、お兄さんは特別だったのです。今でいう「ブラコン」に近い気持ちを、お兄さんに持っていたのかもしれませんね。

綾瀬はるかさん演じる八重ですが、京都に移り住み、新島襄と結婚した後の写真しか残っていません。八重が結婚したのは30才のときですが、その前の「山本八重」としての写真は一つもありません。でも、エピソードはいくつか残っていますから、ご紹介していくことにしましょう。

13才のころには、米4斗が入った俵を両手でつかんで肩まで上げることができたといいます。中学生で60キロもの米俵を持ち上げたというのですから、すごい力持ちです。大人の男性でも、余程の力持ちでなければ到底無理です。

今でしたら、重量挙げの選手として高校や大学からスカウトの声がかかったことは間違いありません。柔道やレスリングの選手としても期待されたのではないでしょうか。金メダルを獲得して国民栄誉賞を受賞した柔道の吉田沙保里選手か、レスリングの浜口京子選手のようなパワフル女子になっていたかもしれませんね。
浜口京子選手というと、そばにお父さんのアニマル浜口さんがコーチ役として必ず付いていますよね。八重が浜口選手なら、覚馬がコーチ役のお父さんということになるでしょうか。

そんなスポーツ系女子だった八重ですから、男の子が好んだ遊びに熱中しました。「石投げ(大きな石を遠くまで飛ばし合う、砲丸投げのような遊び)」も男子に負けず劣らずやったと自ら語っています。まさに男勝りの女性でした。
石投げだけでなく、カルタも得意でした。会津では昔からカルタが盛んで、娘時代から得意にしていました。カルタ大会では、五、六人の男性を相手に全く引けをとらない腕前だったそうです。今でしたら、かるたクイーンとしても注目されたでしょう。
古めかしい言葉ですが、まさに文武両道の女性だったのです。

コメント