大河ドラマ「八重の桜」の世界をめぐる

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第3回
八重や覚馬の運命の分かれ道

覚馬が京都に行った後、長谷川博己さん演じる川崎尚之助が会津で藩士たちに鉄砲の使い方や西洋の最新知識を教えていました。
前にも触れましたが、尚之助は会津藩の人間ではなく、現在の兵庫県豊岡市にあたる出石藩の武士でした。
覚馬が江戸で知り合い、会津に呼び寄せた人物ですね。
今でいうと、科学に詳しい理系男子でした。

その才能に注目した覚馬は、会津藩士として採用してもらおうと上司に掛け合いますが、なかなか認められませんでした。
そのため、尚之助は嘱託のような身分で藩校日新館に勤めます。
覚馬が京都に行った後は、その代わりに藩士たちに西洋の最新知識を教えました。

理系男子の尚之助から、八重は鉄砲や大砲の使い方を学びました。
日新館だけでなく山本家でも、尚之助は覚馬の代わりを務めていました。
兄・覚馬というパーフェクトな男性がいたときは、ブラコンの八重は尚之助を兄の友人程度にしか思っていませんでした。
ですが、覚馬が近くにいない以上、八重が尚之助に兄の姿を重ね、男性として意識しはじめるのは自然の成り行きですよね。
そんな日々が三年ほど続きます。

大砲隊を指揮する覚馬が京都御所に攻め込んできた長州藩を破ったのは元治元年のことですが、そのころ山本家に覚馬から手紙が届きます。
八重の運命を変えることになる手紙でした。
尚之助との縁談を勧めてきたのです。

覚馬の立場からすると、いつになっても尚之助が会津藩士に採用されなかったことは悩みの種でした。
思い余った覚馬は、八重の妹婿にすることで、尚之助を会津藩士に採用してもらおうと考えました。
八重と結婚すれば会津藩士の義弟になるわけですから、採用されやすくなると考えたのでしょう。

山本家でも、八重の縁談には頭を悩ませていました。
射撃訓練に明け暮れる鉄砲マニアの女性でしたから、男性から敬遠されても仕方ありません。
当時は、二十才前に結婚するのが普通でした。
覚馬から手紙が届いた元治元年は、ちょうど八重が二十才になった年でした。
男勝りの八重も、同年代の女性たちが次々と結婚していくのをみて、さすがに焦りはじめていたかもしれませんね。
八重と尚之助は、どんな決断をしたのでしょうか。

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